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福島その4


被災地支援のお米をもって、南相馬市内の仮設住宅を訪問。わざわざ家に上げてくれて、苦しい胸の内を話してくれた。



集まったお米はなんと400㎏。党ボランティアセンターで小分けにした。


福島その3


通行禁止が解除されたばかりの国道6号線。人のいなくなった町をとおる。



遠くに見えるのが事故を起こした原発。



国道6号線以外は立ち入り禁止のため、6号線につながるすべての脇道は、いたるところにフェンスが張られ、警察官が警備をしていた。



「帰還困難区域」に入った途端、ぐんぐん跳ね上がる線量計。



「富岡は負けん」の横断幕。


福島その2


南相馬へ向かう道中、あちこちで「除染作業」ののぼり、そして作業中の労働者に出会った。汚染された膨大なごみがあちこちで「保管」されていた。



南相馬市と浪江町との境には、「立ち入り禁止」の看板があった。ひっそりとした道。



わかるだろうか。草に覆われているが、3年半前にはここにビニールハウスがあったのだ。草の陰にわずかに見えるハウスの骨組み。


福島


23日に、北部地域の党員や支持者のみなさんから寄せていただいたお米と募金をもって、福島・南相馬市の党ボランティアセンターを訪問した。
最初に、津波の被害について視察。あの津波でこんなにも大きな消波ブロックがいとも簡単に流された。



あの日、津波は小高い丘に建てられていた家々を飲み込んだ。その高さおよそ20メートル。丘の上には家の基礎しか残っていなかった。


巻町のこと

そうか、もう18年も前のことなのか。私が小学生のときだ。映画「渡されたバトン さよなら原発」の案内ビラをみて思い出す(8月上旬におこなわれた上映会は残念ながら見逃す)。あの日、私は新潟の海水浴場にいた。私は海にいける喜びで、両親は歴史的な現場に立ち会いたくて、あの町を訪れた。巻町。住民投票で原発の建設をストップさせた町だ。その投票の日にあわせて、私たち家族は海水浴にいったのだった。

二歳の息子は、最近、「げんぱつ、はんたぁい」がマイブームとなっている。熊谷のばあちゃんと一緒にいった原発のデモが楽しかったのか。ときどき、思い出したようにコールしている。我が家の小さなかわいい同志である。

私は両親に連れられて行ったあの日の海をとおして、子どもたちはデモのなかで、原発への問題意識を育むことになったのだ。原発再稼働の動きが執拗に繰り返されているが、権力やお金をもっている人たちが政治を動かすのではなく、一人一人の国民が自らの思いを声をあげていくことの大切さを子どもたちにもいつかはわかってもらいたい。それは、両親も願ったことなのかもしれない。

追記 8月24日には「原発さよならデモ@熊谷」があります。熊谷駅北口16時集合、16時半出発です。ぜひご参加ください。


プロフィール

柴岡ゆうま
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埼玉11区から国政へ

北部地区委員長・青年学生部長

柴岡 ゆうま

1984年生まれ、33歳。深谷市内の小・中学校、県立熊谷農業高校、帯広畜産大学を卒業。日本共産党埼玉北部地区委員長、党中央委員。家族は妻と一男二女、深谷市在住、趣味は読書とカーリング。若者の声を、子育て世代の声を国政に届けるために全力で奮闘中[生い立ち][旧ゆうまブログ]。 ※お問い合わせは、日本共産党埼玉北部地区委員会[寄居町桜沢3315-2、電話048-581-0113、地図]へお願いします。リンク用バナーリンク用バナーリンク用バナーです。ご活用ください

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